3日間の職業体験は、包み隠さず言うと、想像以上にしんどくて、毎日家で泣いた。それから2日、友達に会って話して言葉にして、ようやく落ち着いてきた。
人生の中で、これほど「楽しかった」と嘘がつけない体験は初めてだった。わたしはわたしを過信していたんだと思う。自分のことを、歩けない聞こえない見えないしゃべれない手助けが必要な人たちを、何の問題もなく同じ人間として受け入れられるくらい広く深い心の持ち主なんだと思っていた。つまらなさそうにぼーっと座っているお年寄りに向かって、元気に明るく話しかけ、楽しませちゃったりすることもできるような人間だと思ってた。そんなことは全くなくて、わたしはピエロになり切れない恥ずかしがり屋で人見知りの声の小さいわたしにしかなれなかった。自分自身のことを豚だと何度も言っているおばあちゃんに、豚じゃないよ、すてきなおばあちゃんだよと笑って否定しながら、知らないうちに心に何千も細かい傷がつくのを知らなかった。何度も相手をするうちに嫌にもなった。わたしは全くタフな人間ではなくて、この仕事は、この仕事場にいるには、人を助けることが好きだなんて生ぬるい理由だけじゃだめだ。目の前の現実と自分自身の間に見えない壁を作って、さらに自分の本当の生活の部分は仕事場には持ち込まず、家にも仕事は持ち込まず、そうやって、ある意味クールに生きることができる人間以外、いられない場所だった。わたしはほぼ役立たずだった。むしろ足手まといだと思った。世話役の人の言っていることも、ほとんど分からなくて、冷たく感じる人もいて、悪口を言われている気もして、とても疲労した。
それでも最後の日去る前に、リビングにいたおばあちゃん達に帰るねと伝えたら、優しくしてくれてありがとうと感謝されたり、もう行っちゃうの、また来てねと言ってくれたり、温かく柔らかい握手をしてくれた。それが唯一救いだった。
金曜日の学校の後に友達とお茶をしに行って、そこで少し気持ちを吐き出したらその人は、あなたには美大出という学歴があるんだから、今度は美術館で職業体験したら、と提案した。なんだか素直にそうだな、と思った。わたしの美術の知識なんて高が知れているし無理だと思っていたけれど、しかしそんなこと言ってる暇があれば勉強すればいいのだし、地方の私大出だからってやたら卑下してもここでは関係のないこと。
素直にその提案が心にすとんと収まって、ああなんだ、わたしは結局そういう、文化的で、一緒に働く人も文化的で、ある意味厄介なお客の少ない場所でしか働けない身なんだと知った。驕り高ぶりっていた、わたしはもっとフツウに、レストランとかホテルとか保育園とか、フツウの場所でごく普通の人間として働くこともできるし、そうするのがまともだと思っていたのだ。結局わたしのヘタレメンタルでは、というか誰だって、どんな場所でも気持ちよく働けるわけじゃない。向き不向きというのがあって、それを見誤るとつらいだけだ。住む国が変わっても、わたしの気質は変わらないし、別人になれるわけじゃなかった。
とりあえず、老人施設で働くことは、選択肢の中から抹消した。これからますます人手が必要になっていく分野だけど、ロボットが手助けするようになったり、施設がよりよい場所になったり、よい方向へ進みますように。

